草間彌生インタビュー
Eat 7号: パッケージ

この記事は2001年10月に公開されたものです。

食や性をはじめ、さまざまなオブセッションを表現へと昇華させ、独自の宇宙を築き続ける草間彌生。この作家の視線はかつても今も、つねに世界を見すえている。

いったいこの人の目には、世界がどんなふうに映っているのだろう。

草間彌生の作品の前に立つと、まず頭をよぎるのはそのことだ。無限に広がる網の目、すべてを覆い尽くそうとする水玉やペニス状の突起物、ミラーボール……。一度見たら忘れようのないその特異な作品に説明や解釈はいらないだろう。というより、表層的な言葉などつけ入る隙のない圧倒的な強さ。それこそが、彼女の作品なのである。「わたしにとって、人生そのものがエンバイラメンタルであり、オブセッションであり、作品と自分は地続きだから」

大きな目をさらに大きく見開いて、相手の目を凝視しながら作品への愛着を語る草間の存在感は一瞬こちらが萎縮しそうなほど強く、どこか常人とは違うオーラを放っている。また、つまらない質問には、「仕事だから、こんなことを聞いているの?」と聞き返してくるように、その態度はストレートだ。だがそのいっぽうで、髪に手を触れながら話すちょっとしたしぐさや、話に乗ったときにふと見せる笑顔からは、少女のような無垢さを感じられる。シャーマン的な力と少女のような純粋さ。そんな両極を合わせ持っていることこそ、草間彌生の表現者としての才能なのかもしれない。そして、

「道を歩いていても、ご飯を食べていても絵のことばかり考えているし、夜、寝ていても面白いものが出てきたら、起きてスケッチしていますね」

という並外れた集中力は、神経症や強迫観念といった幼い頃からの既往症がもたらした能力の1つなのだろう。

長野の素封家に生まれ育った草間彌生が子供のころから幻覚を見たり動物や植物の言葉を聞いていたという話は、これまでにも何度も語られてきたことである。

「小さい頃から隠れてでも、3食抜いてでも絵を描いていました」

そんな草間が7年がかりで両親を説得した末、ニューヨークに渡ったのは1957年。初の個展で白いドットで描き上げた作品が注目を集めるや前衛画家として脚光を浴び、その後、作品は平面からさまざまなジャンルへと広がっていく。彫刻、インスタレーション、ハプニングと称するパブリック・アート、ファッションデザイン、週刊誌『KUSAMAORGY』の刊行……。

ものすごくがんばったし、みんなに応援してもらったと草間は言うが、当時はあまりに絵を描き過ぎて倒れたこともあったという。「ずっと描き続けていると、あっちを見てもこっちを見ても自分の絵があるという調子で現実との境がなくなって、心が休まる時間がなくなってしまったんですよ」

100万円という大金(当時これだけのお金があれば、家が2軒建ったという)を親からもらってきたとはいえ、ニューヨークでの生活は戦時中と同じかそれ以上に厳しく、トラックを借りるお金も惜しんだ彼女はその小柄な身体に絵を背負って、美術館やギャラリーに運んでいたらしい。

「33フィートもある大作を描いたりしてたんです。特にわたしの場合、1つ1つ細かい模様をひたすら描き続けているから、まあ言ってみれば行者みたいなものですね」

フード・オブセッション、セックス・オブセッション

マネキン人形の全身や床一面をマカロニで敷きつめたり、椅子やボートなどのオブジェを男根状の突起物で覆いつくす。草間の作品の大半は、自らの強迫観念から生じた恐怖の対象を克服しようという試みから誕生しているようにみえる。

「マカロニはパンやお米と違って工業製品でしょう。そういうものを一生食べ続けなければいけないことを思うとゾーっとして、パニックを起こしそうになるわけですよ」

自分にとり憑いた強迫観念としての性と食について、いったい草間はどんなふうに考えているのだろうか。

「性と食には“人間が摂取するもの”という共通性があります。人間が性と食をどんなふうにとらえているかを考えることは、人間が生きていくことの究極的な意味を問うことだと思うんです」

だが、「ご飯を食べることが楽しみだとは思っていないし、ほかにやりたいことがたくさんあるから、早く済ませたいと思うだけ」とそっけなく言うように、日常生活において、草間は食への執着心というものをほとんど持ってない。

「絵を描き続けるために、バランスの取れた食事をしようとは思うけど、病院の食事には栄養士がついているので問題ないですから」

逆に草間から見れば、雑誌やテレビがレストランや料理の情報ばかりを見せているその状況のほうが奇異に映るらしい。

「ほかに取り上げたいものがないのかなって不思議に思いますけど、今はきっと飽食の時代なんでしょうね」

秘書と一緒に遺書を書く

ほかのアーティストにはほとんど関心がないし、交際もないという草間にとっていちばんの楽しみは、完成した作品がギャラリーや美術館に展示され、大勢の人に見に来てもらうことだ。

「海外でも日本でも、ここ数年若いファンが本当に増えましたね」

本人が口にする通り、この7月に東京のオオタファインアーツで行われた個展のオープニングでも若い人の姿が多く目についた。なかには自分の作品を見てほしいと、写真を送ってくる人もいるそうだが、「草間さんの絵に影響を受けたことが一目でわかるようなものがほとんどです」、とスタッフは言う。

「火の海を見ることができたらきれいだろうなあって、思いませんか」

11月上旬まで開催中の横浜トリエンナーレに作品を出展する際、そんなアイデアを口にして周囲を驚かせた彼女にとって、オリジナリティのない作品など何の価値もないのだろう。

この先の作品づくりや活動について、秘書といろいろ話をしているときがいちばん好きだという草間の姿を見ていると、傍目にもスタッフに対する信頼の強さが伝わってくる。

「小説の執筆も含めてやりたいことはたくさんあるけど、もう先はそれほど長くないから、何をどう進めていくかを考えないといけないんです。仕事は自分だけでやっているわけじゃないですから、秘書と一緒に遺書も書いています」

横浜トリエンナーレ2001に出展されているインスタレーション「ナルシスの庭」11月11日まで開催中。

14歳の時、すでに画家になる決意を固めていたという草間彌生の比類なき才能に、時代がようやく追いついたのだろうか。今年から来年にかけてアメリカのマイアミ美術館での回顧展をはじめ、ヨーロッパ7カ国でも最新のインスタレーションが巡回する。

「画家になるか小説家になるか迷ったけれど、どこの国に行っても通用する美術を選んで本当によかったと思います」

と草間は話す。だが、生まれ変わってもまた、画家になりたいですかと尋ねると、少し考えてからこう答えた。

「もう生まれ変わりたくないですね。あまりに苦労したから……」

誰の影響も受けることなく、つねに自分の世界を突き進んできた。そんな草間にとって、生きることは他人が思う以上に孤独なことなのかもしれない。

「1人でいるのは寂しいけれど、結婚なんて面倒だと思うし、恋愛をするのだっていろいろお金がかかるでしょう」

夜になってスタジオから病室に戻ると、海外にも連れて行くという、妹のように可愛がっているウサギのぬいぐるみを相手にその日の出来事を語りかける。これもまた、絵を描くこと同様、草間の日課の1つなのである。

文/ 塚田恭子  撮影/ 阿部稔哉