これは腐敗か発酵か
Eat 12号: 発酵

この記事は2002年11月に公開されたものです。

発酵—— 微生物の働きが、人間にとって有益な物質を造り出すこと。
腐敗—— 有機物、特にタンパク質が細菌によって分解され、有害な物質と悪臭をもたらすこと。 
目に見えない微生物の働きがもたらす発酵と腐敗は、意外にも紙一重の作用なのだ。

内からの腐敗、外からの腐敗

「そしてわれわれは時の流れとともに熟していき、また、時の流れとともに腐っていく」。

シェイクスピアはこう書いたように、目に見えないほど小さな微生物の働きが引き起こす発酵/腐敗の世界には、不思議な話がたくさんある。

まず、腐敗には「内からの腐敗」と「外からの腐敗」がある。「内からの腐敗」とは、死んだ有機体が自らを食べて自己分解していくこと。生きた細胞の支配を解かれた酵素は、かつてその生成に力を貸したタンパク質を破壊していくのだ。

次に「外からの腐敗」とは、酵母菌やカビやバクテリアといった微生物をゲストに招いたディナー パーティのようなもので、ご馳走はホスト自身。ところが宴もたけなわの頃、発酵菌という特別な微生物集団の登場によって、話は意外な展開を見せる。

食べ物の変化を腐敗と呼ぶか、発酵と呼ぶか。それは作用する菌の種類やその程度によって変わってくる。ワイン、ビール、日本酒、ハチミツ酒、醤油、パン、ヨーグルト、チーズ、バターミルク、サワークリーム、味噌、納豆、テンペ、ピータン、ザウアークラウト、キムチ、ナンプラー、オリーブ、ソーセージ、コーヒー、ココア、バニラ、茶……数え上げればきりがないように、わたしたちの大好きな飲食物には発酵によって作られるものが多い。

「全ての生物は全ての生物から発生する」。腐敗や発酵を研究し、その神秘に挑んだパスツールはこの言葉とともに、「死の営みのあらゆる段階を生が支配している」という結論にたどりついた。

偉大なる微生物の作用

発酵菌は飲食物の栄養液のなかで成長し、液を食べ、自らの代謝産物として新たな分子を作り出す。発酵によってできた新たな飲食物は、元の原料よりも消化しやすく栄養があり、味もよく日持ちもする。

なぜヨーグルトを食べる方が牛乳を飲むよりもタンパク質を吸収しやすいのか。それは乳酸菌の働きによってタンパク質が分解されているためである。潰したブドウに酵母菌を入れると糖がアルコールに、ブドウがワインに変身する。黄コウジ菌その他のカビは、大豆や米や麦を分解して見事な味噌を造る。酢酸菌は酒を酢に変えるし、アセトン・ブタノール菌に糖蜜を食べさせれば、工業用化学物質アセトンができる。

原則的には、結果が好ましい場合に私たちは このプロセスを発酵と呼び、気に入らなければ腐敗と呼んでいる。発酵がどこで腐敗に転じるかは、話の語り手によっても変わるだろう。西洋人は、一般に腐乳の名で知られる中国の発酵豆腐の見た目やにおいに怖じ気づくし、東洋人は、さも不快そうにブルーチーズから顔を背ける。多くの人は魚の頭を苦味のある葉に包んで地中に埋め、数週間放置したものなど食べたいとは思わないだろうけれど、アラスカのエスキモーは、「くさい頭」と名づけたこの料理を好んで食べる。

死んだキジは高貴と伝統の富の味?

内からの腐敗の物語は、語り手の立場によっても変わってくる。英国の田舎に行くと、風通しのよい屋敷の外に、死んだキジが内臓や羽のついたまま吊られていることがある。1 週間でだいたい食べ頃になるが、足が取れて落ちるまでもう1 週間待つんだといって譲らない頑固者もいるそうで、彼らにとって熟成した猟鳥とは高貴と伝統と富の味なのだ。

これが北米なら、そのキジは腐っているとか汚染の疑いがあるといわれるだろう。だが冷蔵庫くらいの温度(3 〜5℃)に吊るしておいた肉は、土壌や空気や糞便からの病原菌の感染もないし、完全に火を通したものなら問題なく食べられる。吊られた途端、キジの体は自らを食い尽くしにかかり、細胞中の酵素がタンパク質を攻撃してばらばらのアミノ酸に分解する。アミノ酸が持つ旨み成分は元のタンパク質よりも強力なため、吊るした肉は独特の風味を持つようになる。古代ローマの料理の権威、アピキウスのアドバイスどおりに「雄ヤギの匂い」が漂うまで吊るした場合は、特にそうだ。

「ものすごくうまいんです。納屋くさい、フランス産の上質の赤ワインみたいな匂いがしてね」と語るのは、シェフでありレストラン経営者であり、数々の料理本の執筆者でもあるジョン・ビショップ。彼は家族の住む英国に帰るたびに、吊るしたキジを食べているそうだ。

チーズと足は同じ穴のムジナ

カマンベールなどある種のチーズが放つ独特のにおいは、たとえば靴下のなかのように温かく湿り気があり、かつ何かに覆われているときに微生物の働きによって生じるにおいと変わらない。だから足のにおいを嗅ぐとチーズが食べられなくなる人もいるし、足のにおいを嗅いでうっとりする人もいる。シュールレアリストの詩人レオン・ポール・ファルグは、カマンベールを“レ・ピエ・ドゥ・デュー”すなわち「神の足」と呼んだ。

同じ匂いをめぐる別の話——1970 年、ロサンゼルスのユージニア・バトラー・ギャラリーで、スイス系ドイツ人アーティスト、ディーター・ロートが熟成した チーズをぎっしり詰めた40 個のスーツケースを室温で展示した。ドイツ語で「彼のスーツケースをここに置いていったのは誰だ」といえば「オナラをしたのは誰だ」という意味。

文/イヴ・ジョンソン 撮影/馬場良平