模倣の誘惑
Eat 3号: 食べ物か、芸術か

この記事は2001年2月に公開されたものです。

日本が世界に誇れるものは、ソニーやホンダの製品だけではない。食べ物屋の店先に並ぶ食品サンプルもまた、外国人を惹きつけてやまないモノの1つなのである。模倣天国ニッポンで見事に開花した食品サンプルが、どのように誕生・発展を遂げたのか。業界第1位のイワサキ・ビーアイに取材した。

「おや?」

日本の飲食店の軒先に並ぶ色鮮やかな料理ディスプレイ。生唾を飲みながら、よーく見てみると何かが変だ。器が傾いているのにスープがこぼれていない。ビールの泡も静止したまま。重力に逆らってフォークを持ち上げているスパゲティまである。

これがおなじみの日本名物、プラスチックでできた本物そっくりの食べ物「食品サンプル」だ。精巧に作られたこの芸術作品たちは、スーパーリアリズムのオブジェとしてではなく、あくまで本物の代用として、きわめて謙虚に飾られているのが普通である。

それにしても、うっとりするほどそっくりだ。有機質を真似た無機質がもつまやかしの官能。美しいマネキン。食品のアンドロイド。不死や永遠へのあこがれ……。これは石や砂で世界を模倣した日本の美「枯山水(かれさんすい)」にも似た世界ではあるまいか。

草分けで最大手でもある株式会社岩崎(イワサキ・ビーアイ)の創業が昭和7年(1932年)というから食品サンプルの歴史は意外と古い。創業者である岩崎瀧三氏が幼少時に好きだったロウ遊びから「型どり」によるイミテーション作成に着想し、オムレツを試作したのが最初だとか。現代のようにカラー写真満載のレシピ集がなかった時代、食品サンプルは新メニューを導入する飲食店のコックにとって「お手本」の役割を果たしていた。ゆえに戦後間もなく、オムライスやタンメンなどの新しい人気メニューが短期間で全国的に普及した背景には食品サンプルの功績がある。また、視覚的には似ているが調理法が日本独自の誤解に基づいているもの、たとえばケチャップでパスタを炒めて作る「スパゲティナポリタン」や鰹だしのきいたそば屋の「カレーライス」といった日本独自の<洋食>メニューも、日本での誕生時期を考えるに、食品サンプルを親として生まれ、流行した可能性がある。この関係の逆転は興味深い。鶏と卵の連鎖の途中で、偽物の卵が入りこんだようなことなのだ。

いっぽうで、食品サンプルは日本人の外食の仕方にも深く関わっている。イミテーションとはいえ、料理の量や素材の種類を具体的に提示する食品サンプルは、<新し物好きだが、オーダーして出てきた料理がイメージと違っても苦情を言えない弱気な> 日本人が料理の内容や値段を店の外であらかじめチェックできる便利なものである。もちろんサンプルは本物でもよいのだが、時間が経つと見た目が悪くなるし、見せるためだけに食べ物を使うのは食べ物を無駄にしているようで好ましくない。写真だと分量などがわかりにくいし、あまりにも美しい写真を使うと「本物と違うじゃないか」との苦情が出かねない。そういった様々な理由から、日本の外食産業の多くが現在も食品サンプルをメニュー代わりに利用し、日本人はあのプラスチック製の料理を食文化のなかに受け入れているのである。

イワサキ・ビーアイ副社長の岩崎毅氏は語る。

「食品サンプルが日本だけでこれほど普及したのは、一言でいうと『間の文化』のおかげです。表と屋内を仕切る玄関の土間のようなものが、日本人には必要だったのでしょう。日本の食文化に不可欠なものとして受け入れられた今、これからの我々に必要なのは新しいアイデア。たとえば、素材から料理になるまでの過程を一度にオブジェのなかで見せたり、揚げる前のコロッケをたくさん置いて『揚げたて感』を演出したり、あるいは誕生日のケーキかと思いきやプレゼントのケースになっているとか…… 。そういう食品サンプルにしかできない商品をどんどん作り、模写を超えた世界を切り開いていくのが業界一位企業としての責務でしょうね」

思えば、日本人の多くは明治期まで牛の肉など食べたことがなかった。朝鮮や中国では古来より食されていた牛の肉を近代までかたくなに食習慣から排除していたのである。鎖国を解き、戦争に敗れ、日本はここ150年で最も急激に食文化を多様化させた国のひとつだろう。そしてその多様化をつねにそばで見続けてきたのが「食品サンプル」なのだ。

近代の急激な社会や文化の変化に、日本人は「模倣」によって適応してきた。高度成長期、トヨタやホンダの技術者は、欧州車を解体して細部を模倣することによって世界に名だたる日本車の原型を作ったし、また日本人の音楽やデザインにおける知的所有権すれすれの「パクリ」の才能には目を見張るものがある。食品サンプルは模倣天国・日本に生まれるべくして生まれた文化でもあるのだ。イワサキ・ビーアイも近年、高山植物の標本をはじめ、6000枚のうろこを持つシーラカンスや体長16メートルのザトウクジラの模型、商品全てがプラスチックでできた一軒の魚屋、「リア王」の舞台で着用するプラスチック製の甲ちゅうや舞台上で投げるときれいに2 つに割れるかぼちゃなど、長年育てた模倣の技術をオールラウンドに発揮して新分野で役立てている。

数えきれないプラスチックの食品に囲まれた工場取材はとても楽しいものであった。だが困ったことに、取材を終えて商店街を歩いたとき、新鮮な野菜や魚たちまでがすべて精巧なイミテーションに見えてしまったのも事実である。

食品サンプルに対する10 の質問(Q&A)

1.作ることのできない食品サンプルはありますか。

できないものはありません。

2.覚せい剤撲滅キャンペーンのためにサンプルで覚せい剤を作ったという話がありましたが、本物はどこから借りてきたのですか。

本物を手に入れることはできないので、資料をもとに作成しました。

3.今まで作ったもののなかでいちばん難しかったものは何ですか。

生魚類。海のなかにいるときと陸にあがったときで色が変わる点が難しい。

4.誤って、自分が作った食品サンプルを食べそうになったことはありますか。

お菓子など、加工されたものは一瞬間違えそうになることも……。

5.もしできれば、食品サンプルに匂いをつけたいと思いますか。

基本的には思いません。工場ではたくさんのサンプルを作っているので、それらが混ざった匂いを想像すると……。

6.本物の懐石料理と食品サンプルの懐石料理を作るのでは、どちらが技術的に大変だと思いますか。

本物の懐石を作るのは大変な技術だと思います。味がない分、サンプルは楽ですが、でもサンプルの懐石もやはり難しいです。

7.クライアントから持ち込まれた食べ物がひどいものだったら、そのことをクライアントに伝えますか。

伝えることもあります。よいサンプルを作るにはよい料理があることが基本です。

8.人間のコピーを作ることもできますか。

できないことはないですが、高価になるだろうし日数もかかるでしょう。

9.外食の際、レストランのクオリティーを食品サンプルの出来不出来で判断することはありますか。

多少はあります。ただ、サンプルは時間とともに色があせたりするので……。

10.いままで作ったものの中で、いちばん大きいものは何でしたか。

ザトウクジラ。16メートルくらいの大きさでした。

食品サンプルのレシピ

1.まず、これから作りたい食品サンプルの現物を用意する。

2.現物の表面が変形しないように、薄くシリコンを塗る。

3.表面が乾いてから(約3〜4時間)、シリコンを流し込んで型どりする(所要約1日)。

4.固まったシリコンから食品を取り出し、そこに液状プラスチックを流し込む。

5.固まったプラスチックに、彩色・加工を施して、より本物に近い色と形に近づける。

6.お店が使っている器に盛りつけて、出来上がり。

すべて本物から型取りをするので、現物以上でも以下でもない、そのもののサイズのサンプルが出来上がる。

食品サンプルの賞味期限

ところで食品サンプルにも賞味期限はあるのだろうか。答えはイエス。プラスチックの性質上、素材の変形・変色が始まる1年半から2年が賞味期限、なのだそうだ。

一見、どれも同じに見える9つの写真。だけど、このなかの5つは本物で、4つは食品サンプルです。どれが本物で、どれが食品サンプルか?

答え:トマト、みかん、白ごはん、赤ピーマン

文/遠藤建   撮影/阿部稔哉、小野里美