やっぱり黒が好き
Eat 12号: 発酵

この記事は2002年11月に公開されたものです。

スタウトといえば誰もが思い浮かべるのがアイルランドのギネス。だが、名うてのビール通をうならす「黒」は、意外や意外、わがニッポンにもあったのだ。

味わいのないビールととても個性的なビール。地ビール・ブームの到来によってさまざまな風味を楽しめるようになるまで、某大手ビールメーカーはそんな両極端なビールを造っていた。前者はご存知、ベストセラーのアサヒスーパードライ。そしてもうひとつは、筆者が日本でもっとも個性的なビールと評価しているアサヒスタウトだ。

どうしてスタウトを置いているバーはこんなに少ないのか?アサヒビールの醸造所で尋ねると、「誰も飲まないから」と彼らは答える。だけど、誰も買えないのはどこにも売っていないからじゃないのだろうか?「醸造している我々は飲みますよ。スタウトほど、自分がビール職人であることを実感させてくれるビールはないですから。ビール醸造の学校で研修を終えたスタッフには、スタウトを一樽造ってもらいます。工場内では原田スタウトとか鈴木スタウトとか、造った本人の名前が付けられているんです」

スタウトはそんなに手のかかるビールなのだろうか。スーパードライのようなビールを造ることもそれはそれで大変そうだが、ポーター*1やスタウト*2と呼ばれるビールをバランスよく醸造するのも、同じくらいの労力を要する。この種のビールにはきつくローストした麦芽や穀類が使われ、ホップの度合いも重い。代表的なのが英国のエールに使われる酵母で、フルーティーでスパイシーなアロマの風味がその特徴だ。アサヒスタウトは黒檀のように黒く、サテン地のようになめらかで、燻されたようにスモーキーで香ばしい。ウッディな香りをもたらすのは、ブレタノミセスと呼ばれる半野生酵母。伝統的にスタウトに使われてきたものだ。アルコール度数は品質を伝えるものではないけれど、8パーセントという数値はこの優しき巨人の知られざる横顔といえる。

蒸気動力が醸造の産業化に拍車をかける以前、修道院や城、宿場では自家製ビールが造られていたように、かつて中央・西ヨーロッパではどの村にも独自のビールがあった。村の地ビールは突然、蒸気機械でビールを量産するロンドンのメーカーと競合しなければならなくなったのだ。そして都市部で主流となったポーターというスタイルのビールは、英国以外でも飲まれるようになった。

ポーターという名の由来は明らかではないが、ひとつにはロンドンの青果市場で働くポーターのあいだで好まれていたという説がある。だが、個人的にはこんな風に考えている。当時、宿場などでは注文するとすぐにビールが出てきたが、工場で造られたビールは顧客に配達しなくてはならなかった。だから配達人がパブの前に荷物を運び終えたとき、「ポーターが到着したぞ!」と大声で知らせていた。これが名前の由来ではないだろうか……

大英帝国はこの種のビールを世界の果てまで広めたため、今でも外国でポーターといえば色の濃い、香ばしい、強いビール(アルコール度数8-10パーセント)を指す。ロシアの女帝エカテリーナはセントペテルスブルグにあるすべてのビール醸造所にこの濃厚ビールのスタイルを採用させたため、バルカン半島では今も大半の醸造所がポーターを造っている。最近、英語圏ではこの種のビールの人気が復活していて、「ロシア風スタウト」あるいは「インペリアルスタウト」といった、逆輸入的な名で呼ばれている。

第一次世界大戦の開戦前、英国内ではエネルギー節約のために麦芽のロースト作業を禁じていたが、アイルランドの独立運動を激化させるのを恐れた政府はこの禁止令を他の英国領土には適用しないという策を取った。おかげでポーターとスタウトを造り続けることができたギネス・グループのダブリン醸造所は、今日も、世界最大のスタウト生産量を誇っている。

ギネスは媚薬であり、赤ん坊が浸かるお風呂でもあった

戦後の深刻な食糧不足のなかで、栄養になるものなら何でも欲していたイギリス人は他の多くの国民同様、色の濃いビールは強壮剤になると信じていた。スタウトの原料にひき割りオート麦を加える醸造所も出てきたのは、ビールが朝食のオートミール粥のように栄養豊富になることを期待していたからだろうか。実際、少量のオートミールはスタウトをクリーミーにしてくれる。英国一の知名度を誇るサミュエル・スミス社のオートミール・スタウトのようなスタイルのビールは、近年アメリカの地ビール醸造所で人気上昇中だ。

実のところ、英国のスタウト造りはマイナーになっているのだが、ともあれ英国的スタウトといえば、甘いエスプレッソのような香りとクリーミーな質感のマッケソン・スタウトが挙げられるだろう。酒場の主人や飲んべいたちが砂糖を加えることを思いついたのは、冷蔵技術が発達する以前はビールの品質が悪くなりやすかったためだった。だが、その必要性がなくなった今も習慣は残り、醸造所によっては元気を回復させるスィート・スタウトとして今も生産されている。

すべてのビール職人は、麦芽がもたらす甘みとホップがもたらすすっきりとしたドライさの調整に苦心しているが、ギネスは特にホップの特徴が頻著なスタウトだ。ロースト特有の甘さ、ホップの苦味、そしてブレタノミセス酵母が、ドライで複雑なビールの味を生み出している。ギネスはカリブ海で媚薬と見なされた。また、中国人コミュニティーでは生まれた赤ん坊をギネスのお風呂に浸けるという風習もある。そして『宝島』の作者、スティーブンソンは他のビールで喉の渇きを癒せないといって、ギネスをサモア諸島まで輸送して欲しいと求めていた。

現在、世界各地のマーケットに合わせたさまざまなスタウトを生産しているギネス・グループ。特定のアルコール飲料がその国のイメージそのものとなっているケースは少なくない。だが、ある特定のブランドがこれほど完璧に故郷を象徴している例がほかにあるだろうか。 

*1 ポーター;スタウトに近い濃色ビール。発酵度が高いため糖分が少なく、アルコール度が高い。

*2 スタウト;上面発酵の濃色ビール。アルコール分、苦みの強さが特徴。発酵度を高めるために砂糖も使用。

文/マイケル・ジャクソン   撮影/スティーブ・ウェスト