アート・オリエンテーリング
Eat 13号: トラベル
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この記事は2003年2月に公開されたものです。
棚田や森林に突如、現れるオブジェの数々。野へ山へと飛び出した現代アートを楽しむ1泊2日の小旅行は、天窓からのぞく日没の空の美しきグラデーションでクライマックスを迎える。
東京から北北西に進路を取ること約200キロ。森林、棚田、里山……目の前に広がるのどかな風景のなかから見慣れぬオブジェが唐突に立ち現れる。いったい誰が?何のために?
日本有数の豪雪地帯に点在する一連のオブジェ。その正体は新潟県・妻有地区で開催された越後妻有アートトリエンナーレ2000の出展作品である。美術館という器から飛び出し、野外に設営された149点のうち69点は、恒久設置作品として6市町村にまたがる会場で見ることができる。オリエンテーリング感覚で山中を歩き、風景とワンセットになった美術を体感する。そんなこれまでの現代美術の枠を超えた楽しみ方を提案した3年に1度の"大地の芸術祭"の出品作のなかでももっとも心地よい空間を創出している場所。それが滞在できるアート作品「光の館」だ。
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天窓からのぞく、見たことのない空の色
町中を通り抜けて丘陵地を上がっていくと、目の前に数奇屋風の日本家屋が現れた。光のアーティスト、ジェームス・タレルが手掛けたこの建物の周囲には民家もなく、背後には山がつづいている。2階から眼下の町を眺めると「下界を見下ろしている」ような気分になる一種独特の解放感があって、ここが"瞑想のためのゲストハウス"として構想されたという話もなるほど納得できる。
建物内はすべて間接照明。日本の民家の暖かい感じをイメージしてデザインしたという室内は居心地よく、2階を囲む広い回廊も、夏の晩にここで月見酒をしたらどんなに気持ち良いだろうと思わせる空間だ。だが、滞在客がもっとも期待を寄せるのは、日没と日の出の時間に合わせて行なわれるライトショーだろう。光量を計算した天井の白熱灯の作用によって、空の色は微妙な変化を見せるのだという。
日が傾き出した午後5時。スライド式の屋根を開放し、畳に仰向けになって天空を眺めていると、灰色の空が淡い空色に移り変わり始めた。にわかに現れた2メートル四方ほどの限定された天窓越しに映る空は、明るいブルーから藍色、濃紺へと彩られていく。時々回廊に出て空を見上げてみるものの、空は相変わらずの曇天である。
幻想的な青のグラデーションは1時間ほどで漆黒の闇となった。室内に目を戻すと、部屋の灯りが赤みを帯びているのも心憎い演出だ。
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タレルが現出させる空間は決してきらびやかなものでも、光の強さを主張しようとするものではない。光ファイバーの蛍光レッドとブルーのラインが闇のなかに浮かび上がるライトバス(風呂場)も、目が慣れるまではずいぶん暗く感じられるだろう。未知の光を体感することによって、新たな知覚の可能性が広がっていく。「光の館」はそんなチャンスを与えてくれる空間なのかもしれない。
滞在者を満足させるのはこの素晴らしい空間だけじゃない。何しろここは日本一の米との誉れ高き魚沼産コシヒカリの産地。良心的な値段で用意してくれる夕・朝食ももちろん試す価値ありだが、台所には道具・食器類とも完備されているので、自炊をしない手はないだろう。米処とはすなわち酒処。窓外に舞う雪を見ながら川西町の地酒で夜を明かすのも、豪雪地帯ならではの風流に違いない。
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マリーナ・アブラモヴィッチ作「夢の家」、イリヤ&エミリア・カバコフ「米が実る山の5つの彫刻」
翌日もアート・オリエンテーリングしながら、松之山町へ向かう。旧ユーゴスラヴィアのアーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチが築100年ほどの民家を改築した「夢の館」は、物の怪との相性がよさそうな雰囲気だ。途中、日本3大薬湯に数えられる松之山温泉に入り、東京で食べるより何倍もおいしくてボリュームのある蕎麦を良心的な値段で食べる。日本酒、そば、温泉、アート三昧で過ごす1泊2日の小旅行。なかなか悪くない組み合わせだった。
文/ 塚田恭子 写真/ 阿部稔哉