海外に進出する企業の意外な落とし穴

2024. 08. 01

嶋田智之 / 日本市場開発責任者

日系企業の海外進出は企業の目的や期待は多岐に渡り、現地での販路拡大、新たな生産拠点、人材確保など、右肩上がりの傾向は変わらない。

今ではその成功や失敗の知見もたまり、大企業のみならず、中小企業の世界進出をサポートする環境も充実しているので、さらに海外進出のハードルは下がっている。

指南書やノウハウ情報でも強調されているポイントだが、「綿密な市場調査や競合調査」「マーケティングへの投資」そして「長期視点で構える姿勢」というのが海外進出で熟慮すべきトップ3としてよく紹介されている。

進出する先の市場の状況や競合状況、自社製品やサービスの受容性を把握する

70年代に起こったベータ対VHSの「ビデオテープ戦争」は日本がその技術力で海外に精力的に打って出始めた初期の頃の良い事例と言えよう。国内の市場を最優先で開発を進めてきたソニーは、多くの日本人が好む「高画質」「高音質」「小型」の録画媒体「ベータ規格」を開発し、VHSという規格とアメリカ市場でガチ対決となった。磁気テープはその特性上、テープが長くなればなるほど画質も音質も落ちる。VHSの「2時間録画で映画が1本丸々楽しめる」という海外ニーズを汲んだマーケティングに対し、ソニーのベータは録画時間60分だが小型で高品質という競争優位性を前面に推した。結果、ソニーは惨敗を期しやがて市場から姿を消してしまい、VHSがビデオテープの世界標準規格の地位を獲得したのだった。製品やサービスの品質がいかに優れていても、当該市場のニーズや競合の動向を軽んじてはならない、という典型的な失敗事例となってしまった。

このように、海外では言語のみならず、文化や慣習、考え方、税制、法律など日本と大きく異なる場合が多いため、日本で当たり前とされるビジネストレンドやマーケティング手法が通用しない場面も多々存在し「カントリーリスク」と呼ばれている。NTTドコモの携帯電話サービス「i-mode」が欧州市場進出に失敗した事例もその一つに挙げられる。

超好景気に突入した80年代後半頃、通信ビジネスは大きな飛躍を遂げ始めていた。デジタル回線の登場、固定電話から移動電話、さらには携帯電話へ。やがて通信料金もリーズナブルになり、携帯電話の個人需要も見込めるようになっていった。そんな中NTTドコモが1999年に発表したのがi-modeである。i-modeとは、携帯電話向けインターネット接続サービスで、本来の通話機能に加え、電子メール、インターネット接続、お財布機能やテレビの視聴などが、携帯電話から楽しめるという、画期的なサービスだった。

i-modeは携帯電話のような小型でも処理能力が最大発揮できるシステムとして世界に衝撃を与えるほどの素晴らしいものだったが、日本と海外ではそもそも携帯電話の使い方の違いが大きすぎたために日本流のビジネスが通用しなかった。日本ではi-modeが牽引役となり携帯電話の多機能化が進んだが、海外では通話とショートメールに携帯電話の用途はほぼ集約されていた。

それまで35年続いた日本の通信行政とマーケティング戦略は、2000年代に入って僅か5年足らずで完全にスマートホンに取って代わられた。世界最高水準の確かな技術を持っていても、それを市場ごとのニーズやビジネス構造に順応させられなければ、海外進出と言う拡大戦略は容易に失敗してしまうと言う苦い教訓になってしまった。

他国で売れるためのマーケティング投資が必要

日本に住んでいると、「カルピコ」と言うブランドを見聞きすることはない。なぜなら、これは「カルピス」として長年日本で愛されている飲料ブランドのことだからである。海外、特に英語圏の市場ではカルピスはその発音が「牛の小便」と近いことから商品名の改名を余儀なくされたカルピスは、1991年のアメリカを皮切りに、インドネシア・台湾・タイに現地法人を設立し海外進出を成功させ、その後もマーケティング活動を重ね、飽くなき市場開拓が続いている。2012年にはハラル認証も取得、海外の多様な食文化、飲用文化を見事に味方につけている。

今では北米の乳酸飲料市場の5%をカルピコブランド単体で占めていると言われ、北米市場だけで年間数十億円のマーケティング予算を割いていると推察される。商品名を変えてまでも市場拡大を目指した企業判断と覚悟は、業界を問わず日本企業が海外に進出する際の意思決定の重要な要素として大いに参考にすべきである。

一方で、大塚製薬のスポーツ飲料「ポカリスエット」は、その逆のマーケティング戦略で成功を収めている。

この商品名には英語で「汗」と言う意味の単語が使われている。日本では長年愛されているスポーツドリンクのロングセラーだが、大塚製薬はこのネーミングにこだわって海外進出を果たしている。人間の汗と同じ浸透圧という意味で特に運動時に失われがちなミネラルも効率的に体内に吸収できるという機能的価値が売りの飲料は、さすが製薬会社が開発しただけあって成分の配合や味覚にこだわりが詰まっている。ポカリスエットが提供する機能的価値のキーワードはまさに「汗」なのだ。

しかし、ポカリスエットという商品名に抵抗を示す消費者も海外には大勢いることも分かっている。それをマーケティング戦略で乗り越えたのが大塚製薬である。90年代から積極的に海外で開催のスポーツ大会やイベントに協賛したり、スポーツチームのスポンサーを名乗り出たりしてきた。協賛やスポンサーに費やすコストだけでも年間十数億円は投じているものと推察される。日本発の海外進出事例には、このように、丹念な海外市場調査の上で、敢えて自社の信念や真意を商品に託して、それを徹底的にマーケティングする戦略に打って出る珍しいケースも存在するのだ。いずれのケースも、その市場の受容性を研究し、進出するだけでなく、永続的にブランドを育て軌道に乗せるまでコストを惜しまない覚悟が成功の鍵を握っているのだ。

海外進出を決めたら、短期的な成功は期待しない方が良い

海外進出は日本国内での事業展開では思いもよらない挑戦や壁を乗り越えなければならない局面と対峙することが少なくない。そして多くの場合、時間的コストも予想以上にかかるものだ。商品だけでなく、海外に拠点を設けて精力的に足固めを図る場合であれば尚のことだ。しかし、海外進出企業の撤退比率は20%を超えている。中小企業が本社の場合はその割合がさらに高い。海外に拠点を設ける際に必須となるのが現地での水先案内を頼れるパートナー探しだが、現地パートナー企業や現地採用の人材との関係がうまく続かないという撤退理由が上位に挙がっている。自社の企業文化を共有し理解されるまでには相当な時間がかかるものだ。

撤退した企業に目を向けると、進出時に撤退の条件を詰めていなかった企業が7割にも上る。撤退企業によくあるパターンとして、規模よりも時間軸の誤算が大きいようだ。本社の資金の用意が長期戦を想定しておらず、進出したは良いが息が続かなかったというのも撤退理由のトップ3に入っている。

国内とは異なるコミュニケーション

海外に無事に進出できたとしても、社内外のコミュニケーションの舵の取り方でその後の経営が大きく影響を受ける事例も少なくない。現地パートナーや現地採用の従業員とのコミュニケーションや企業の見せ方を当該国のコミュニケーション文化に合わせなければ、「ワン・ボイス」での企業価値の創造は難しい。日本企業は「阿吽の呼吸」や「組織力」が得意技とされているが、海外で同じものを求めることはできない。

ESGや多様性、インクルーシブ性など、海外では日本企業が、ひいては日本社会が想像する以上に社会の中での企業や法人格の果たすべき責任は大きく、関わり方も非常に深い。企業の社会に対するコミットメントは今や企業価値評価に直結するようになった。自社の本来打ち出したい価値や指向性が、その通りに受け入れられるように相手国の文化や慣習と期待に合わせた上で伝わるような創意工夫が必要なのだ。海外進出をする際、これだけは統計データや市場調査などでは解決できない、方程式の存在しない課題だとも言える。

当社は、そのような「トランスクリエイション」を得意としているマーケティング・デザインの会社である。日本企業の海外進出の成功とは、商品やサービスをその市場に根付かせることだけではない。プロダクトだけでなく、企業の理念や姿勢をしっかり理解してもらうことも、長期的な成功を考えれば格段に重要な取り組みになる。当社は、日本人の間だけで理解し満足しがちな企業文化を、進出先の市場でも等しく浸透するように「トランスクリエイション」(創造的な意訳)によって企業価値を移転可能な価値に変換するお手伝いをしている。

まとめ

日系企業が海外に進出するのは、様々な戦略の上に決定される。現地の市場調査や競合調査を徹底的にすることで、自社のビジネスのどこに勝算や注力すべき点があるのかを見極め、その市場にしっかり定着させるためにマーケティングにも手間と時間をかけ、コスト回収と企業認知及び地位の確立は長期戦になる覚悟を持つべきである。

しかし、その裏では、経営戦略や評価指標に出てこない重要なポイント、すなわち社内外のコミュニケーションを見直し、現地に違和感なく入り込めて「一員として歓迎される」ような企業ペルソナの見せ方を造るというステップが欠かせないということを強調したい。

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